ウィガンはしょうかくできますか?

「家族のようなクラブ」という哲学を持つ、 イギリスの片田舎にあるクラブであるウィガン・アスレティックのファンが、
公式やらゴシップやらの和訳を気まぐれに書きつづるただそれだけのブログ。たまに、Wigan以外のコラムとかの訳も。
チームの愛称はLATICSです。
WE LOVE LATICS! WE BELIEVE OUR GAFFER AND CHAIRMAN! LET'S GO! さあ!ヨーロッパとチャンピオンシップに乗り込むぞ!

2014年07月

 そんなこんなで、隣で僕にちょっかいを出してくるマウロと共に、僕は楕円形の輪に加わって新たな上司となる指揮官の話を聞くことになった。

 

「ようこそ、ウエストハム・ユナイテッドへ。世界に飢えた子どもたち」。

 

 まるでカバが大きな口を空けて何かを飲み込むように、ゆっくりとした動きで初老のイングランド人が口を開き、初級のリスニングのCDがやっとの僕でもなんとか聞き取れるレベルで英語を紡ぐ。今時動物園のカバでも、英語を流暢に喋るくらいの芸が出来なければやっていけないのだろうか、まるでモダンフットボールにおけるレギュラー争いだ、なんて僕はくだらないことを狭い心の中で呟いた。今季からチームに新加入する選手は数人。マウロと僕はアルゼンチン代表経験者だが、髭の生えたポルトガル人MFや、身体能力に定評のあるエクアドル人FWもいる。まるで世界中から野菜を集めたカラフルな八百屋のように、チームには様々な色と形の選手たちが揃っていた。これを見て、イングランドのチームだ、と言って誰が信じるだろうか。選手によっては小難しい顔で、僕のように嫌そうに仕事をしている通訳を介して話を聞いている選手もいる。

 

「知ってのとおり、我々は哲学の下にフットボールをする」

 

 彼はそう言うと、まるで何か面白い種類の虫でも見るように一瞬僕を見て、かすかな微笑を口もとに浮かべた。風のない日に静かに立ちのぼる小さな煙のような微笑みだった。その後にキャプテンのケビンという名の男ー僕が聞き間違えていなければーが短い挨拶をしたのだが、残念なことに僕のリスニング能力ではイマイチ聞き取れなかった。なんとなく正直そうな男だ、とだけ僕は思った。

 

「ビッグサムには、108のロングボール戦術があるらしい」という眉唾な噂が僕の耳に飛び込んだのは、新監督と新しいチームメイトたちとの通過儀礼的で、形式的な対面を終わらせた日の夜、慣れない練習場を後にする時だった。相変わらずブエノスアイレスの陽気なスリのように僕の背後にあっさりと回り込んだ彼は、まるで世界の秘密を耳打ちするように消え入りそうな声で僕の耳にその噂を落としていった。

 

「それ、新しいジョークか何か?ウィットが足りないんじゃないかな」

 

「え?何言ってんだよレオ。俺はシリアスでマジだぜ」

 

 覚えたての英語と、僕らの言語を混ぜたせいで完全に意味が被っている単語を続けながら、マウロは太陽の下に咲き誇る向日葵のようにニッコリと笑った。純粋に邪悪を詰め込んだような、悪戯を仕掛ける前の五歳児のような笑顔だった。僕の親戚にも、あんな顔をして悪さをする男の子がいたものだ。今になって考えてみれば、そもそもカバみたいな男がビッグ・サムという異名だと知ったのもその時だったので、僕はとんちんかんな答えを返してしまったのだった。そんな僕を見ても、イマイチ状況を察することが出来ないマウロは自分勝手に続ける。

 

「ビッグサム、つまりうちの監督は、クソみたいなロングボール信者なんだよ。レオ、お前ヘディングしたことあるか?」

 

 僕は何かに打たれたようにしばらくその場に茫然と立ち尽くしていた。まるでビニール・ラップにくるまれて冷蔵庫に放りこまれそのままドアを閉められてしまった魚のような冷ややかな無力感が私を襲った。ロングボール。その言葉が僕の中をくるくると回るので、無作為に検索窓に突っ込んではみたものの、僕の中には一致する単語がないらしかった。南米人らしく、くだらない冗談や嘘を言って僕をからかうネイマールとダニエウ・アウベスがバルセロナ時代は鬱陶しくて仕方なかったのだが、今ばかりは彼らが適当な茂みから幽霊のようにふらっと現れて「嘘だよ」と言ってくれないだろうか、と僕は心の底から祈った。

 

 かつてのチームメイトであるカメルーンから来たFW、エトーが話してくれたことがある。あれはバルセロナのロッカールームで、多分2008年から2009年くらいのことだったかなと思う。彼は色々と問題を起こす、そんなFWだったが、僕を弟のように可愛がってくれた。その際彼は、こんな風に言ったのだ。

 

「僕はとても不完全な人間なんだ。不完全だししょっちゅう失敗する。でも学ぶ。二度と同じ間違いはしないように決心する。それでも二度同じ間違いをすることはすくなからずある。どうしてだろう?簡単だ。何故なら僕が馬鹿で不完全だからだ。そういう時にはやはり少し自己嫌悪になる。そして三度は同じ間違いを犯すまいと決心する。少しずつ向上する。少しずつだけれど、それでも向上は向上だ。」

 

 あの時のエトーに、純粋に聞いてみたい。間違いを犯して、戻れないときはどうしたらいいのだろう。僕は間違いを犯し、間違いを犯し、間違いを犯してここまで来た。エトーと僕の違いは「間違いを犯さないように」なんてことを考える頃にはもう谷底にごろごろと転がり落ちていたことだ。失礼な話だが、僕はエトーより賢いと自分では思っていた。それなのにこの様だ。ロングボール。ロンドンでロングボール。
 

 「やれやれ」と僕は立ち上がりながら言った。やれやれという言葉はだんだん僕の口ぐせになりつつある。
 

 「これで1日が終り、しかも我々はどこにも辿りついていない」

 

 マウロは、突然玩具を奪われた少女のような、不思議そうな顔で僕を見ていた。

 

 

 僕が初めてウエストハムのホームであるブーリン・グラウンドを訪れた時、キャロルは7月のやわらかな日ざしの下に 頭を投げ出してロングボールを機械のようにゴールに流しこんでいる最中だった。

「このゴールの優れた点は、」と彼は僕に言った。

「得点と効率性が一体化していることだ」。

 芝の生い繁った広いフィールドには様々な色と形の選手が集まり、 芝生に転がる白いボールを懸命に追いかけていた。バルセロナでは時代遅れとされるような練習が当然のように行われている、まるで軍隊の演習場のような雰囲気のグラウンドに着いた僕に注目するものは意外にもほとんどいなかった。彼らはまるで目の前に餌を浮かべられた魚のように、ただロングボールにひたすらに食らいついていたのだった。

「まるでアメフトだろ?レオ。」

  いつの間にか僕の隣に、ブエノスアイレスの気のいいスリみたいに滑り込んだマウロ・サラテが忌々しそうに告げた。彼は「メッシ世代」-そう呼ぶのは自分では気恥ずかしいがーと呼ばれた年代の一員であり、実際何度か世代別代表で顔を合わせたことがある友人だった。彼はまるで我儘な子どものような癇癪持ちなドリブラーで、なんとなく僕らアルゼンチン人のドリブラーにとっては「あそこまでは好き勝手やっていいんだ」という何か基準のような選手だった。ヨーロッパには結局馴染めなかった彼だが、中東や南米では十分な実績を見せている。僕はひとまず笑顔を顔面に貼り付けると、「久しぶり」と答えた。バロンドールの授賞式みたいに上手く笑顔を作れているだろうか、昔からの知り合いであるマウロに作り笑いが気付かれてないかどうか、それだけが少し不安だった。ただ、ラッキーなことにマウロはそのプレーのように、人よりも少し鈍感なようだった。彼は続けた。

「でも、ここは金払いに関してはそこそこなんだ。俺が前いたイタリアの名門クラブなんかとは違うさ。なんだかんだで来シーズンの給料もちゃんともらってる。だから二人でたっぷり楽しもうよ。」

 サラテは脚を上げて、前衛的なデザインのナイキのスパイク・シューズを脱ぎ、ピッチにころんとセクシーに転がした。

 「ねえ、わるいけどそれは出来ない」と僕は言った。

「どうしてだよ、お前ロングボール信者なの?」

「いや、そうじゃない。そうじゃなくて、僕のなんかで変な塊みたいなものがあって、なんだか苦しいんだ。 だから君と楽しくプレーするわけにはいかない。多分今の僕じゃ君のダンスパートナーになれないよ」

「やろうよ」とサラテは単純に言った。

「気持ちいいよ、南米サッカー」 僕にはよくわからなかった。

「おい、餓鬼共。集合だぞ」

 乱暴に僕らの背中を叩いて、名もないアシスタントコーチがいつの間にか出来たチームの輪の中心へと走って行く。ゆっくりと立ち上がると、サラテが僕に耳打ちする。

「あいつの給料、俺らの何分の一だろうな」

 くだらないジョークが、なんだかアルゼンチン代表の練習場を思い浮かばせるようで、僕は少し笑った。久しぶりに笑ったような気がした。でも、所詮ここはロンドンでしかなく、僕が恋焦がれていたブラジルの決勝戦もチャンピオンズリーグの決勝も、ジョゼ・モウリーニョの憎らしい顔を見られるクラシコも、全てはもう遠く手の届かない過去のことだ。その事実を思い出すたびに、僕はとんでもなく悲しいような、感情が抜け落ちてしまったような、そんな2013-2014シーズンの僕のバルセロナでの日々みたいなどうしようもない虚しさに襲われるのだった。あの頃僕はとんでもなく孤独で、全ての苦しみを吐きだしてしまいたいと思いながら、強い吐き気と闘う生活を送っていた。

 輪の中に遅れて合流すると、中心にはカバと人間のハーフのような体格のいい男が海沿いの岩のように佇んでいた。彼が指揮官なのだろう、ということはなんとなくわかった。僕の経験上、現代フットボール界で結果を残している指揮官というものは大体何かしら頭のネジが外れたような人間で、なんというか普通の人間とは違う空気を纏うのだ。ペップ・グアルディオラはまるで絵本の中から抜け出してきたような存在感を纏う、理想主義を纏めたような不可思議な男だったし、ファン・ハールなんて人間の嫌なところを圧縮したような存在だった。つまりはそういうことなのだ。指揮官なんて人種は、僕らのことを都合のいい駒としか思っていないし、僕らは替えが利くものでしかないのだ。誰がコーヒーを飲む時に、紙コップの種類を気にするだろう。つまりそういうことなのだ。根本では彼らはそんな風に僕らのことを扱い、良い質のものが出てくれば簡単に交代する。そんな人間が普通と違って見えるのは多分当然のことで、何も不思議はない。

 僕は何故か、バルセロナ時代のペップとの会話を思い出していた。

「最近のストライカーはみんな戦術に忠実になったんだ」 と彼は僕に説明した。

「僕が学生の頃はこんなじゃなかった。ストライカーといえばみんな守備の時は立ってるだけで 半分ぐらいは性格破綻者だった。でもときどきひっくりかえるくらい凄いゴールが見れた。僕はいつもカタルーニャの練習場に通ってサッカーを見ていた。そのひっくりかえるような経験を求めてだよ」

「そういう人たちが好きなんですね、監督は」

「たぶんね」 と彼は言った。

「まずまずの素晴らしいプレーを求めてサッカーにのめり込む人間はいない。九の外れがあっても一の至高体験を求めて人間はスタジアムに向かって行くんだ。 そしてそれがサッカー界を動かしていくんだ。それがスポーツというものじゃないかと僕は思う」

 彼は膝の上にある自分の両手をまたじっと眺めた。それから顔を上げて僕を見た。僕は彼の話の続きを待っていた。

「でも今は少し違う。今では僕は監督だからね。僕がやってるのは選手を補強してもらって優勝することだよ。そして僕はここでべつにストライカーを支援しているわけではないんだ。好むと好まざるとにかかわらず、この場所ではそういうものは求められていないんだ。 指揮する側にとっては戦術に忠実で頭のいい連中のほうが扱いやすい。それもそれでまた仕方ないだろう。フィールドじゅうがロマーリオで満ちていなくてはならないというわけじゃないんだ。それでも、僕はメッシ、君に人格破綻者のように素晴らしいストライカーになってほしい」

 やれやれ、なんて我儘な話だ。とその時の僕は思った。最近の指揮官は、紙コップの質にまで気を配るらしい。彼の言うようにその後、僕は人格を犠牲にし、多くのトロフィーで家を埋め尽くすことになっていったのだ。そういう意味では僕はペップの操り人形だったのかもしれないし、もともと僕に異常者の側面があったのかもしれない。それは僕にもわからなかった。

 

 僕は二十七歳で、そのときボーイング747のシートに座っていた。その巨大な飛行機はぶ厚いロンドンの雨雲をくぐり抜けて降下し、ヒースロー空港に着陸しようとしているところだった。七月にも関わらず冷ややかな雨が大地を暗く染め、雨合羽を着た整備工たちや、のっぺりとした空港ビルの上に立った旗や、BMWの広告板やそんな何もかもをフランドル派の陰うつな絵の背景のように見せていた。やれやれ、またイギリスか、と僕は思った。

 飛行機が着地を完了すると禁煙のサインが消え、天井のスピーカーから小さな音でBGMが流れはじめた。それはどこかのオーケストラが甘く演奏するPitbullの『We Are One』だった。そしてそのメロディーはいつものように僕を混乱させた。いや、いつもとは比べものにならないくらい激しく僕を混乱させ揺り動かした。

 僕は頭がはりさけてしまわないように身をかがめて両手で顔を覆い、そのままじっとしていた。やがてスチュワーデスがやってきて、気分が悪いのかと英語で訊いた。大丈夫、少し目まいがしただけだと僕は答えた。

「本当に大丈夫?」

「大丈夫です、ありがとう」と僕は言った。スチュワーデスはにっこりと笑って行ってしまい、音楽はビリー・ジョエルの曲に変った。僕は頭を上げて上空に所在なく浮かんだ暗い雲を眺め、自分がこれまでの人生の過程で失ってきた多くのもののことを考えた。失われた時間、死にあるいは去っていった試合、もう戻ることのない想い。

 飛行機が完全にストップして、人々がシートベルトを外し、物入れの中からバッグやら上着やらをとりだし始めるまで、僕はずっとあの草原の中にいた。僕の草の匂いをかぎ、肌の風を感じ、鳥の声を聴いた。それは夏で、母国にほど近いブラジルだった。

 前と同じスチュワーデスがやってきて、僕の隣りに腰を下ろし、もう大丈夫かと訊いた。

「大丈夫です、ありがとう。ちょっと哀しくなっただけだから(It’s all right now, thank you, I only felt lonely, you know.)と片言の英語で僕は言って微笑んだ。

 

 なにが間違っていたのだろう。僕はバルセロナの自宅で目の前のテレビをぼんやりと眺めていた。 ブラウン管には僕がサッカーを楽しんでいたときのバルセロナの試合がライブで映っている。何百のハイレベルな試合、何百本の貴重なゴール、バルセロナに訪れた何百万人の観客。 何もかもが、まるではしけに打ち寄せる波のようにやって来ては去っていった。

 僕はもう既に十分なだけの試合に出たじゃないか。 もちろん三十五になろうが四十になろうが僕のこれまでの貢献があれば幾らだって試合に出れるかもしれない。でも、……二十七歳、移籍するには若くない歳だ。

 

 気の利いた人間ならエレベータークラブから中堅クラブ、多くのチームで多くの大会を経験し、様々なチームメイトと試合に出て経験を積み、腕に誇り高きキャプテンマークでも巻いている歳だ。僕はテレビのスイッチを切り、グラスに注いだミネラルウォーターを一息で半分ばかり飲む。そして反射的に手の甲で口を拭う。そして湿った手をジーンズの尻で拭った。

 

 さあ考えろ、と僕は自らに言いきかせる。逃げてないで考えろよ、二十七歳……。少しは考えてもいい歳だ。カンテラ選手が二人寄った歳だぜ、お前にそれだけの値打ちがあるかい? ないね、一人分だってない。チームメイトのアルゼンチン人の頭部に散りばめられた髪の毛ほどの値打もない。 ……よせよ、他人のこと言えたもんかよ、くだらないメタフォルはもう沢山だ。何の役にも立たない。考えろ、お前は何処かで間違ったんだ。思い出せよ。……わかるもんか。

 

突如マンチェスター・シティからの大型オファーが舞い込んだのは、そんな折だった。環境の変化、という言葉に飛び付いた僕だけではなく、ウルグアイ人のFWを獲得して僕の高額の年棒を抱えきれなくなったバルセロナも、喜んでその案を受け入れた。全てを手にして走らなくなった僕よりも、正確には過剰なプレッシャーに耐えかねて僕の身体は走れなくなっていたのだが、若くキラキラとしたボール扱いが出来るネイマールや、勝利にいつまでも飢え続けたルイス・スアレスのようなアタッカーを彼らは求めたのだ。でも、それは別に僕にとってショックでもなんでもなかった。一瞬フットボールの喜びを感じられたアルゼンチン代表チームでの練習と儚い冒険が終わり、目の前で栄光が滑り落ちていったような考えたくもないW杯の決勝戦が終わり、数えるほどしかないバカンスをまるで機械のように消費した後、カタルーニャでの時計仕掛けのチキ・タカに戻って行くことには躊躇いのようなものがあったのだ。カタルーニャのボール回しに参加し、まるで時計の針になったかのように過ごしていくことは、その時の僕にとってはまるで何か綺麗に磨き上げられたギロチンの処刑台に向かっていくかのように感じられた。

 

そんな中で、当時の僕がマンチェスター・シティ行きを決めたのは何かしら運命のようなものだったのかもしれない。盟友セルヒオ・アグエロやパブロ・サバレタのいるマンチェスターの問題点は天気だけのように思えたし、クソみたいなメディア対応も慣れたものだ。まさかあんなことが起こるとは思ってもみなかったのだけど。2014年夏、シーズン前に組まれたプレシーズンツアーで僕は左膝に怪我をしてしまった。それ自体はそこまで大きな問題ではなかったのだが、何故だかそれは僕が今まで抱えていた精神的な不安とリンクしていたようで、何故か不安な気持ちと共に痛みが何度となくぶり返すようになってしまった。マンチェスターの湿ったような空気も膝には良くなかったようで、僕は盟友アグエロー彼もシュートを打つごとに全治2週間の怪我をするという状態だったのだがーとベンチを温める日々が続いた。

 

勿論ベンチからの出場として出番を得ることは頻繁にあったものの、世界中から集められたシティのようなチームにおいて僕の役割がそんなにある訳ではなかった。2人や3人をおもむろに引き付けてボールを渡してしまえば、強力なアタッカー陣が容赦なくゴールを陥れてしまう訳で、そこまで沢山の仕事を与えられている訳ではなかったのだ。そして一時期は僕の中に激しく息づいていたマンチェスターシティでの成功を目指す幾つかの感情も急激に色あせ、意味のない古い夢のようなものへとその形を変えていった。

 

ある夜、僕は元チームメイトのヤヤ・トゥーレと話をする機会があった。バルサ時代の思い出話に花を咲かせた後、僕は静かに、「決めかねている」と告げた。

「そんな気がしてたよ」

トゥーレはそう言うと、しゃべり疲れたように微笑んだ。 僕はゆっくり立ち上がり、煙草とライターをポケットにつっこんだ。時計は既に一時をまわっていた。

「おやすみ」とトゥーレは言った。

「おやすみ」と僕が言った。

「ねえ、ペップが言ったよ。ゆっくり歩け、そしてたっぷり水を飲めってね」

街灯が人影のない通りを明るく照らし出している。僕はガードレールに腰を下ろし、空を見上げる。そして、いったいどれだけの水を飲めば足りるのか、と思った。

 

少し前置きが長くなったが、そんな中で話は冒頭に戻る訳だ。2014-15年の慌ただしいシーズンを終え、マンチェスター・シティというチームのオーナーが僕がどうも馴染んでいないことを感じ取ったのか、給料をシティが持つという形でのローンをいくつかのクラブに打診していたらしい。僕がアルゼンチンで休暇中に決まったその大事なことは、僕がバカンスをいつものように機械的に終えるころには決定事項になっていた。アルゼンチンに届いたメールには「West Ham United Football Club」という文字が躍っていた。夢を見ているのか、と僕は思った。バロンドールを取ったこともある僕が、中堅クラブに行くことになるなんて、何か悪い冗談をラベッシが言ってきている代表合宿での一幕のような感覚に襲われていた。

 

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