僕は二十七歳で、そのときボーイング747のシートに座っていた。その巨大な飛行機はぶ厚いロンドンの雨雲をくぐり抜けて降下し、ヒースロー空港に着陸しようとしているところだった。七月にも関わらず冷ややかな雨が大地を暗く染め、雨合羽を着た整備工たちや、のっぺりとした空港ビルの上に立った旗や、BMWの広告板やそんな何もかもをフランドル派の陰うつな絵の背景のように見せていた。やれやれ、またイギリスか、と僕は思った。

 飛行機が着地を完了すると禁煙のサインが消え、天井のスピーカーから小さな音でBGMが流れはじめた。それはどこかのオーケストラが甘く演奏するPitbullの『We Are One』だった。そしてそのメロディーはいつものように僕を混乱させた。いや、いつもとは比べものにならないくらい激しく僕を混乱させ揺り動かした。

 僕は頭がはりさけてしまわないように身をかがめて両手で顔を覆い、そのままじっとしていた。やがてスチュワーデスがやってきて、気分が悪いのかと英語で訊いた。大丈夫、少し目まいがしただけだと僕は答えた。

「本当に大丈夫?」

「大丈夫です、ありがとう」と僕は言った。スチュワーデスはにっこりと笑って行ってしまい、音楽はビリー・ジョエルの曲に変った。僕は頭を上げて上空に所在なく浮かんだ暗い雲を眺め、自分がこれまでの人生の過程で失ってきた多くのもののことを考えた。失われた時間、死にあるいは去っていった試合、もう戻ることのない想い。

 飛行機が完全にストップして、人々がシートベルトを外し、物入れの中からバッグやら上着やらをとりだし始めるまで、僕はずっとあの草原の中にいた。僕の草の匂いをかぎ、肌の風を感じ、鳥の声を聴いた。それは夏で、母国にほど近いブラジルだった。

 前と同じスチュワーデスがやってきて、僕の隣りに腰を下ろし、もう大丈夫かと訊いた。

「大丈夫です、ありがとう。ちょっと哀しくなっただけだから(It’s all right now, thank you, I only felt lonely, you know.)と片言の英語で僕は言って微笑んだ。

 

 なにが間違っていたのだろう。僕はバルセロナの自宅で目の前のテレビをぼんやりと眺めていた。 ブラウン管には僕がサッカーを楽しんでいたときのバルセロナの試合がライブで映っている。何百のハイレベルな試合、何百本の貴重なゴール、バルセロナに訪れた何百万人の観客。 何もかもが、まるではしけに打ち寄せる波のようにやって来ては去っていった。

 僕はもう既に十分なだけの試合に出たじゃないか。 もちろん三十五になろうが四十になろうが僕のこれまでの貢献があれば幾らだって試合に出れるかもしれない。でも、……二十七歳、移籍するには若くない歳だ。

 

 気の利いた人間ならエレベータークラブから中堅クラブ、多くのチームで多くの大会を経験し、様々なチームメイトと試合に出て経験を積み、腕に誇り高きキャプテンマークでも巻いている歳だ。僕はテレビのスイッチを切り、グラスに注いだミネラルウォーターを一息で半分ばかり飲む。そして反射的に手の甲で口を拭う。そして湿った手をジーンズの尻で拭った。

 

 さあ考えろ、と僕は自らに言いきかせる。逃げてないで考えろよ、二十七歳……。少しは考えてもいい歳だ。カンテラ選手が二人寄った歳だぜ、お前にそれだけの値打ちがあるかい? ないね、一人分だってない。チームメイトのアルゼンチン人の頭部に散りばめられた髪の毛ほどの値打もない。 ……よせよ、他人のこと言えたもんかよ、くだらないメタフォルはもう沢山だ。何の役にも立たない。考えろ、お前は何処かで間違ったんだ。思い出せよ。……わかるもんか。

 

突如マンチェスター・シティからの大型オファーが舞い込んだのは、そんな折だった。環境の変化、という言葉に飛び付いた僕だけではなく、ウルグアイ人のFWを獲得して僕の高額の年棒を抱えきれなくなったバルセロナも、喜んでその案を受け入れた。全てを手にして走らなくなった僕よりも、正確には過剰なプレッシャーに耐えかねて僕の身体は走れなくなっていたのだが、若くキラキラとしたボール扱いが出来るネイマールや、勝利にいつまでも飢え続けたルイス・スアレスのようなアタッカーを彼らは求めたのだ。でも、それは別に僕にとってショックでもなんでもなかった。一瞬フットボールの喜びを感じられたアルゼンチン代表チームでの練習と儚い冒険が終わり、目の前で栄光が滑り落ちていったような考えたくもないW杯の決勝戦が終わり、数えるほどしかないバカンスをまるで機械のように消費した後、カタルーニャでの時計仕掛けのチキ・タカに戻って行くことには躊躇いのようなものがあったのだ。カタルーニャのボール回しに参加し、まるで時計の針になったかのように過ごしていくことは、その時の僕にとってはまるで何か綺麗に磨き上げられたギロチンの処刑台に向かっていくかのように感じられた。

 

そんな中で、当時の僕がマンチェスター・シティ行きを決めたのは何かしら運命のようなものだったのかもしれない。盟友セルヒオ・アグエロやパブロ・サバレタのいるマンチェスターの問題点は天気だけのように思えたし、クソみたいなメディア対応も慣れたものだ。まさかあんなことが起こるとは思ってもみなかったのだけど。2014年夏、シーズン前に組まれたプレシーズンツアーで僕は左膝に怪我をしてしまった。それ自体はそこまで大きな問題ではなかったのだが、何故だかそれは僕が今まで抱えていた精神的な不安とリンクしていたようで、何故か不安な気持ちと共に痛みが何度となくぶり返すようになってしまった。マンチェスターの湿ったような空気も膝には良くなかったようで、僕は盟友アグエロー彼もシュートを打つごとに全治2週間の怪我をするという状態だったのだがーとベンチを温める日々が続いた。

 

勿論ベンチからの出場として出番を得ることは頻繁にあったものの、世界中から集められたシティのようなチームにおいて僕の役割がそんなにある訳ではなかった。2人や3人をおもむろに引き付けてボールを渡してしまえば、強力なアタッカー陣が容赦なくゴールを陥れてしまう訳で、そこまで沢山の仕事を与えられている訳ではなかったのだ。そして一時期は僕の中に激しく息づいていたマンチェスターシティでの成功を目指す幾つかの感情も急激に色あせ、意味のない古い夢のようなものへとその形を変えていった。

 

ある夜、僕は元チームメイトのヤヤ・トゥーレと話をする機会があった。バルサ時代の思い出話に花を咲かせた後、僕は静かに、「決めかねている」と告げた。

「そんな気がしてたよ」

トゥーレはそう言うと、しゃべり疲れたように微笑んだ。 僕はゆっくり立ち上がり、煙草とライターをポケットにつっこんだ。時計は既に一時をまわっていた。

「おやすみ」とトゥーレは言った。

「おやすみ」と僕が言った。

「ねえ、ペップが言ったよ。ゆっくり歩け、そしてたっぷり水を飲めってね」

街灯が人影のない通りを明るく照らし出している。僕はガードレールに腰を下ろし、空を見上げる。そして、いったいどれだけの水を飲めば足りるのか、と思った。

 

少し前置きが長くなったが、そんな中で話は冒頭に戻る訳だ。2014-15年の慌ただしいシーズンを終え、マンチェスター・シティというチームのオーナーが僕がどうも馴染んでいないことを感じ取ったのか、給料をシティが持つという形でのローンをいくつかのクラブに打診していたらしい。僕がアルゼンチンで休暇中に決まったその大事なことは、僕がバカンスをいつものように機械的に終えるころには決定事項になっていた。アルゼンチンに届いたメールには「West Ham United Football Club」という文字が躍っていた。夢を見ているのか、と僕は思った。バロンドールを取ったこともある僕が、中堅クラブに行くことになるなんて、何か悪い冗談をラベッシが言ってきている代表合宿での一幕のような感覚に襲われていた。